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TOKIO城島101キロ完走!〜明雄さんとともに走った!〜24時間テレビ2014 [テレビ]

数々の「小さなキセキ・大きなキセキ」で感動を呼ぶ

日本テレビ系の「24時間テレビ・愛は地球を救う/小さなキセキ・大きなキセキ」が8月30〜31日に放送されました。

生放送会場は東京・日本武道館で、総合司会に羽鳥慎一・水卜麻美アナウンサー、メインパーソナリティは関ジャニ∞、チャリティ・パーソナリティーは杏というキャストで行われ、チャリティの寄付金は2億6千万円以上が集まりました。

また、チャリティー・マラソンランナーはTOKIOのリーダー 城島茂で、101キロを24時間かけて走り抜き、無事会場の武道館へゴールしました。

有名人から市井の人まで、難病や障がいと懸命に戦い、人生の奈落に落とされても、這い上がろうと努力する人たちの姿を紹介し応援するという番組の姿勢にまず拍手を贈ります。
そしてそういった人たちに愛の手を差し伸べる出演者、関係者および多くの視聴者の善意がチャリティ寄金として寄せられました。

これは、ただダラダラと流すのではない、制作側の良心がうかがわれる番組として成功したのではないかと思います。

なぜなら困難な人々を支援し、地球環境を良くしようというのが、今われわれに求められている喫緊の課題だからです。

偽善という批判があるかもしれませんが、バラエティに終始したフジテレビの27時間テレビより意義あるものと思います。

こういった制作の姿勢一つとってもフジと日テレの差は明らかです。

ただ、あえて批判をするなら、ジャニーズに頼りすぎている点と、出演者の健康管理だけは注意してほしいということでしょうか。

それでは、24時間テレビから、ピックアップしたエピソードをどうぞ。


林家こん平、10年ぶりに日テレ登場

10年前の笑点終了後に倒れた、こん平師匠は、そのまま救急車で病院に搬送され入院。
長い療養生活を送ることとなりました。
やがて意識を取り戻した師匠は、声が出なくなりました。
原因が不明だったのですが、しばらくして病名は「多発性硬化症」だとわかりました。
なかなか治らない難病です。
しかし、家族の支えと、「もう一度笑点へ出る」との強い思いで、大好きな卓球ができるまでに回復。
だがそれもつかの間、下半身に激痛が襲うのです。
糖尿病の併発です。左足小指が壊死していました。
足は切らずに済みましたが、足の不自由さや右手の麻痺など、満身創痍状態でした。
それから数年、娘さんの懸命な介護もあって、またまた卓球ができるほどに回復。
そしてこの日の24時間テレビの出演となったのです。
まだ、発声は充分ではありませんが、桂歌丸師匠、林家たい平さんも激励し、
「笑点」への強い思いから、
決めギャグの「1・2・3・ちゃら〜ん」を会場のみんなと唱和しました。


TOKIO城島がマラソンにかけた思い

TOKIOリーダー、城島茂が24時間マラソンの挑戦を決めた理由は、
仲間の「山口達也がかつて100キロ走ったから、俺は101キロ走る」ではありませんでした。
「ダッシュ村」で農業指導・生活指導を受けた明雄さん(三瓶明雄さん)への思いからでした。
TOKIOのメンバーは明雄さんを「6人目のTOKIO」と呼び、親しんでいました。
その人が去年12月に入院。やがて1月下旬食事をとれるまでに回復。
3月、城島と山口が見舞いに訪れ、明雄さんが病床にあっても鉄腕ダッシュの教えを請いました。
「また一緒に農作業がしたい!」
明雄さんもTOKIOも同じ思いだったのです。
城島は「自分が姿を見せるだけで明雄さんは元気になれる。だから明雄さんのために走る!」
と24時間マラソンランナーを引き受けたのでした。
しかし、城島の決意の3週間後、明雄さんは帰らぬ人に…
8月中旬、山口は城島に黙って明雄さんの遺骨に城島が走ることを報告。
「明雄さんの力をリーダーに貸してください」と霊前に祈りました。

8月31日午後8時50分。その城島は見事武道館にゴールイン。
これは明雄さんと一緒に走ったことが力をくれたんだと、
城島、そしてTOKIOの面々は思ったことでしょう。

【関連ブログ】TOKIO島 http://tokio-jima.blog.so-net.ne.jp/


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